東京高等裁判所 昭和50年(ネ)2951号 判決
ところで、自賠法三条にいう「他人」とは通常「当該自動車の運行供用者及び運転者(運転補助者を含む)を除くそれ以外の者」をいうと解される。何故運行供用者及び運転者が「他人」から除外されるかといえば、通常の場合にはこれらの者はむしろ危険物たる自動車の運行を事実上支配管理し、運行から生ずる危険を防止すべく期待され、またそれが可能な地位にあって、事故発生の場合にはいわば加害者と評価される立場の者であり、自賠法一一条においても被保険者とされているからである。
しかし運行供用者が複数存在し(共同運行供用者)、そのうちのある者が被害に遭ったという例外的な場合においては、他人性の問題は、自賠法における被害者保護の要請にかんがみて更に検討を要しよう。すなわち、運行供用者が複数ある場合に、それらの者の間には、車に対する運行支配ないし事故当時の具体的運行に対する支配の程度態様において差異が存する点に注意すべきである。被害を受けた運行供用者のそれが賠償義務者とされた運行供用者のそれに比し、直接的顕在的具体的であれば、前記運行供用者を他人から除外した趣旨により、被害者たる運行供用者は、自賠法三条にいう「他人」から除外されるのを相当とするけれども(最高裁昭和四九年(オ)第一〇三五号同五〇年一一月四日第三小法廷判決民集二九巻一〇号一五〇一頁)逆に被害を受けた運行供用者の運行支配が賠償義務者とされた他の運行供用者のそれに比し間接的潜在的抽象的であるときには、むしろ対外的には共同運行供用者として賠償責任を負う場合であっても、対内的すなわち直接的な運行供用者に対する関係では他人性を阻却されることなく、同条にいう「他人」として同条による損害賠償請求をなしうると解するのが、自賠法の精神に合致する所以である。
右の見地から、本件においていずれも運行供用者に該当する控訴人、亡一也及び飯泉の三名につき本件事故車に対する運行支配ないし事故当時の具体的運行に対する支配の程度態様を見ると、前に認定したとおり
(一) 控訴人は、同居している子亡一也に本件事故車を買い与え、亡一也が当時未成年であった関係もあって自らその名義人となったが、本件事故車を運転したことも同乗したこともなく亡一也に自由に使わせ、時に自分の買物や実家への連絡等をやらせたことがある、
(二) 亡一也は、本件事故車を控訴人から買い与えられ、毎日の通勤や日曜日等におけるドライブに自由に使用し、ガソリン代等の経費を負担していたものであり、事故当日は飯泉とともに花火見物に行くため、この車を運転し飯泉を同乗させて自宅を出発したが、途中で飯泉と運転を交替し、その後は後部座席に同乗して進行中本件事故に遭遇した。
(三) 飯泉は、事故当日亡一也とともに花火見物に行くため亡一也運転の本件事故車に同乗し、途中で亡一也と交替し、亡一也を同乗させて運転中本件事故を惹起させた、
というのである。
以上の事実からすると、事故当時の本件事故車の運行において、控訴人による運行支配は間接的潜在的抽象的であったのに対し、亡一也及び飯泉によるそれは直接的顕在的具体的であり、更に亡一也と飯泉とにつき本件事故車の具体的運行に対する支配の程度態様を比較すると、飯泉は事故当時の運転者であって亡一也は同乗者であったという点において、飯泉の方がより直接的顕在的具体的であったということができる。
そうとすると亡一也は、飯泉に対しては自賠法三条の「他人」であるとして同条による損害賠償責任を追及する余地があるようにも思われるが、本件においては飯泉に同条による損害賠償責任が発生したとのことは控訴人の主張しないところである。
これに反し亡一也は、控訴人に対しては、同条の「他人」であることを阻却されるものであって、その結果控訴人は、亡一也に対し同条による損害賠償責任を負わないと解される。
(吉岡 園部 太田)